イノセンス、それは命。

http://www.innocence-movie.jp/index1.html
帰りにお台場のシネマメディアージュの前を通り、まだ押井守イノセンスを見ていなかったことを思い出した。ちょうど時間が合ったので、見ていくことにする。こういうのはほんときっかけが肝心だ。でないと、見ないで終わってしまう。
内容は、ストーリー展開の大枠については期待以上のものではなかったが、細部の練り込みがすさまじすぎて、相変わらず文句を言う気が全く起きない出来上がりになっていた。映像が美しすぎて、泣きそうだった。尊敬。
まあ、そもそも、もうこのサイボーグネタで10年近くやってるわけだし、そろそろ次行かないか?という気もしなくもないのだけど、でもやっぱり身体に関する素朴で重大な疑念というものを形にし続けている限り面白いことには変わりはなし。ただ、そろそろテーマ的にでかいブレークスルーを期待してしまうかも、、、。
漫画を全部チェックして細かいところまで覚えている身としては、この映画の基本的なエピソードそのものも、また細かいシーンについても出所が分かってしまうのがちょっと悲しいところだけど、使い方がうまいのでがっかりはしない。刑事モノのつくりになっているところは、最近のスタンド・アローン・コンプレックスと方向性がかぶる気がしてもったいなく感じたけど、話をドラマとしてまとめる力はさすがって感じだ。マトリックスなんて、あっちいったまま帰ってこなかったからね。この話作りにおける根本的思想の違いは大きい。結局、マトリックスは神話みたいなのを目指していたのに対し、こっちはもっと地に足をつけて、こちらの世界に語りかけてくる。これはお前らの生きている世界の延長線上にあるんだぞ、と。SFの基本姿勢にどこまでも忠実なのだ。だからこそガジェットの詰め込み方が半端じゃなく、またその一つ一つに現実的な設定がされている。リアリティを作り出す際の根本的手法が違うのだ。
話は変わって、僕の予想では、義体っていうのは恐らく、手や足を失った人々の義手や義足からどんどん発展していって、パラリンピックがオリンピックと変わらないくらい記録を出すようになったころから、我々の日常生活にも溶け込んでくるんじゃないかと思う。
いずれにせよ、クローン人間なんかのエキセントリックな新技術も、どうしても欲しい、というニーズがあるわけだし、60億も人間がいれば誰かがパンドラの箱を開けるのを止めるのは不可能なのかもしれない。問題はそれが衝撃的に導入されるか、さもなくば緩やかに浸透していくかの違いだけなのかもしれない。自分の臓器の予備があったらどんなにいいだろうって体があんまり強くない僕はやっぱり思ってしまうし。それに、死ぬくらいなら機械を体に入れても平気という人なんて、世の中には五万といる。ただ、それが生存競争(市場競争)におけるアドバンテージを志向するための道具になった時に、世界の歯車が別な方向に動き出すのだろう。
機械が体に入り込んでくることと近代化批判みたいなのをやった映画で、塚本晋也の「鉄男」というのがあったね・・・。ニューヨークのメディア団体とかで、散々つつかれた記憶が・・・。